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2016年3月

2016年3月14日 (月)

美炎さんの魅力 〜「里守人と馬頭琴」と水墨画のドレス〜

毎年秋に、栃木県那珂川町 (旧馬頭町) の棚田で開かれる美炎さんのコンサート。
昨年演奏会のデザインをトータルコーディネートした主催者廣田家の娘さんが 「演奏会を作り上げている梅平の人々」 をテーマにした冊子「里守人と馬頭琴」 を作り、芸術大学の卒業制作展に出展しました。

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作品展のテーマ 「梅平地区・馬頭琴演奏会トータルコーディネート」

今ではメディアにも取り上げられ、梅平地区の魅力を沢山の人が知るきっかけにもなった棚田コンサート。その5年間の軌跡と地元の人達の想いがぎゅっと詰められているこの冊子を読んだ時、東京から移住してきた廣田さん一家が、如何にこの場所を愛し、地区の人達に愛され、又、梅平の人や自然の豊かさや、美炎さんの魅力を引き出して、皆さんに伝えてきたかが分かって、感動しました。

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「奨励賞」 をとったのに、こんな所にcoldsweats01

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美炎さんも、これは 「私の宝物」 と言って抱きしめていたけれど、皆さんの素敵な笑顔が冊子を開くたびに蘇ってきて、心がほっこりしてしまいます。
里守人スタッフの皆さんのひと言の中に
「この演奏会をきっかけに、若い人を含めて梅平の人が団結できたと思うなあ。演奏会を続けるには風景の維持もしなくちゃいけないから、昔通った田んぼを残すきっかけにもなっているよね。」
という言葉があったのが、印象的でした。

5年前の美炎さんは少年のようでした。コンサートの時に口紅も持ってきてなくて、私が真っ赤なおばさん口紅を貸してあげたのだった。そんな野生馬みたいな美炎さんも魅力的だったのだけど。
小さかったねむの木の成長と合わせるように、美炎さんもどんどん変身しています。

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その魅力に魅せられた人がもう一人います。
里見八犬伝の舞台にもなった南房総の滝田城近くに、ギャラリーSFK を主宰されている水墨画家の山鹿公子さん。
昨日は3月13日 (さとみの日) という事で、夢酔藤山さん執筆の 「里見太平記」 (里見家の歴史) の挿絵を描かれている山鹿先生の作品展で美炎さんが演奏しました。

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山鹿先生の作品

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ふきのとうやお雛様は、お母さま文子さん (SFKのF) の作品かな

今回のお衣装は、山鹿先生が描いたものです。

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弓を動かすたびに水墨画が描かれた袖が揺れます。

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まるで、天女のようではないですかshine
ヘアメイクも素敵ですheart02 5年の間に、蝶に変身sign02

山鹿先生、美炎さんが訪れるたびにご自分が描いた布やお洋服をプレゼントして下さいます。他にもあるので、どんなお衣装に生まれ変わるのか楽しみです。

帰り際、山鹿先生が妹さんの書をプレゼントして下さいました。
お父様は、書道家。旦那様は宮大工。芸術家一家ですart

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2016年3月 3日 (木)

あれから5年 福島への旅③ 〜奇跡の神社再訪〜

帰りにどうしても寄りたかった場所、それは2年半前、親戚のお墓参りの際に訪れた久ノ浜にある秋義 (あきば) 神社。原発の南31キロの地点にあります。
陸前高田の奇跡の一本松のように、津波や火災にもめげずに残った小さな神社です。
震災後の緑地化計画で一時は取り壊す話もありましたが、そんな苦難にも負けず今も残っています。
(前回の様子はコチラ) あれから2年半が経ちました。
常磐道いわき四倉ICから、5分程。田園風景が拡がる中を走ります。

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海岸沿いを神社を探して走っていると、周囲はかなり様変わりしていました。
土手が築かれ、植林されているようです。

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前回は、津波の痕跡が生々しい建物の基礎が残る場所に神社はありました。

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今は、かさ上げされた広大な土地に、ポツンと取り残されたように神社はありました。
神様はどんな想いで、変わっていく景色をご覧になっているのでしょう think

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整備中なのか、前回あった慰霊碑は見当たりません。
周囲が高くなったせいか、以前より低くなったように見えます。

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堤防はコンクリートと土手の二重構造になっていて、スタッフの方達が植林の作業をされていました。上部は松、下部は広葉樹の木のようです。
津波被害にあった沿岸部は、このような大規模な堤防が作られているようです。

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神社から、海は見えません。

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放射線を測ってみました。低いです。0.066μ㏜/hでした。

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あの時のように、いつまでもこの場所を守って欲しいです。

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前回と同じように、地元の浜風商店街 に立ち寄りました。
観光客はおらず、ブースには語り部をしてくれていたおばちゃんもいません。寂しい。
神社と同じように、時の流れに取り残されているようです。

火山活動が活発化している九州で、桜島から50キロの川内原発は再稼働されました。
事故から5年経った今、不都合な事に目をつむりながら前に進もうとしている (後ろに進んでいるというべきか) 現実があります。ひとたび事故が起これば、長い間沢山の人が苦しむというのに。廃炉の目途も立たず、未だ現在進行形の福島原発。チェルノブイリでは、事故後数年経ってから影響が顕著になり始めたという報告があります。放射能への感受性の高い子供達への影響が、特に心配です。

復興は少しずつですが、進んでいるようです。そして、同時にあの時の痕跡もなくなりつつあります。でも、被災した人達の心の目に焼き付いた風景がなくなる事は決してない。
その痛みを自分の痛みとして感じる事が出来るかどうか、この国の将来はそこにかかっているように思いました。

関心を持ち続けないと、政府はこんな恐ろしい事も考えています shock

「汚染土を建設資材にsign02 

※ 秋義神社は、「絶景と美味とパワースポット」 という本にも取り上げられています。

秋義神社  福島県いわき市久ノ浜町久ノ浜字東町73

『こうふくのしま』 作詞 田口ランディ  作曲・演奏 美炎

2016年3月 2日 (水)

あれから5年 福島への旅② 〜裏磐梯の美しい自然〜

翌日は、東北道を南下して裏磐梯へ。郡山JCTを西に向かって、会津方面に行きます。
郡山からほど近い五百川PAで、放射線を測ってみました。
我が家の辺りでもそうなのですが、場所によって随分違います。

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植物や土の傍は、どうしても高くなります。

でも、猪苗代磐梯高原ICの辺りは、今回の旅で最低の0.038μ㏜/hでした。なんだかほっとしてしまいます。会津地方は、途中の山に遮られたのか比較的放射線が低いという印象を受けました。ホテルの駐車場でも、0.057μ㏜/hで千葉と同じ位でした。ちなみに、沖縄の那覇県庁の今日の数値は、0.043μ㏜/hです。
ホワイトフードただいまの空間線量 より。

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磐梯山 (表) が見えてきました。

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高速を降りると、すぐ近くに猪苗代湖があります。オナガガモの群れが羽根を休めていました。時折頭上を、白鳥の群れが飛んでいきます。

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お昼は、喜多方ラーメンでしょ。

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そこから北上して、磐梯山の反対側裏磐梯へ。泊まったのは裏磐梯レイクリゾート
スノーシューや檜原湖でのワカサギ釣り、 歴史散歩やハイキングなどアクティビティー が充実しています。私達は、目の前にある五色沼でのスノーシューハイキングを楽しみました。積雪は、1メートル。

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今年は雪が少なく、いつもだったら見えない看板も見えますとガイドさん。熊に出くわしたら、目をそらさずにゆっくり後ずさりして逃げるといいそう。でも、スノーシューは構造上後ずさり禁止と教わったばかり (笑)

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途中、テンやリスの足跡も発見sign03
青沼。火山の成分のアルミでこんな色になるそう。

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風がなかったので、水面に木が写って綺麗です。
そして、るり沼。磐梯山が見えます。山と山の間が火口だそうです。微妙に色が違います。

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ガイドさんが、スプーンにメープルシロップを入れて渡してくれました。雪をすくって食べると、天然のかき氷。歩いて喉が渇いていたので、凄く美味しかったsign03

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檜原湖を一望出来る露天風呂でゆっくり体を温めて、極楽気分でした happy01
つづく。

2016年3月 1日 (火)

あれから5年 福島への旅① 〜放射線を測りながら走る〜

東日本大震災、福島原発事故から5年。
昨年3月に全線開通した常磐道を使って、海沿いを北上しながら仙台に帰省しました。
途中の常磐富岡インターと浪江インターの間は帰宅困難区域で、高速から東へおよそ8キロの地点には、福島第一原子力発電所があります。
親戚が沢山住む、福島県。
今回、生協から放射線測定器をお借りして、現在の数値を測りながら走ってみました。
マッピングしたのが、下の地図です。

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(注) 測定器は、HORIBAの環境放射線モニタRadi (PA-1000)
   単位はμ㏜(マイクロシーベルト)/h (時)
   2月27日〜29日 晴れ〜曇り 風ほとんどなし
   パーキング以外は、車中走りながらの測定。

bud 参考資料 bud

ICRP (国際放射線防護委員会) の年間許容限度 … 1ミリシーベルト(凡そ0.23μ㏜/h)

当初国が定めた被曝限度 … 1ミリシーベルト (0.23μ㏜/h)

18歳未満や妊婦の立ち入りが制限される放射線管理区域 … 0.60μ㏜/h以上

チェルノブイリ事故後ウクライナが定めた居住禁止区域 … 5ミリシーベルト(0.56μ㏜/h) 以上

① 放射線業務従事者の年間許容量 … 20ミリシーベルト (3.8μ㏜/h)
② 文科省が定めた、県内の学校施設での利用限度許容量
                  … 20ミリシーベルト (3.8μ㏜/h)
③ 政府が定めた避難、帰還の基準値 … 20ミリシーベルト (3.8μ㏜/h)

※ 空間線量の他に、土壌汚染、食物摂取による被曝などの考慮が必要。

年間20ミリシーベルトだとすると、原発の周囲以外どこでも居住可能になってしまう。
常磐線を2020年 (オリンピックを意識しているのか) 春 までに開通するという政府。
本当にこれで良いのかsign02

昨年11月4日時点での、航空機モニタリング空間線量率マップはコチラ

いわきJCTを過ぎると、道路脇に放射線量のモニタリングボードが現れますが、「窓を閉める事、エアコンの調整」 などの注意サインは何もなし。勿論、しっかりチェックしました pig

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この辺りから、測定器の警告音をオンにします。

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広野インター〜常磐富岡インターの間の道路脇。黒いフレコンバックが沢山積み上げられています。

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常磐富岡IC〜浪江ICの間は帰宅困難地域なので、以前田畑だった所は荒地になっていました。

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道路脇にも、バッグが。

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あちこちに、ボッチのようにしてフレコンバックが。昔は稲わらがボッチになっていたでしょうに、異様な風景です。
測定器の音が大きくなってきて、緊張が高まります。でも、警告音も聞こえず数値も知らなかったら、意識しないで走ってしまうだろうな。

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今回の旅で、最高値を出した地点。原発の近くです。道路上で、窓を閉めているのでこの値ですが、外の木や草の多い場所ではもっと高いのでしょうね。
不思議な事に、原発の近くでも低い値を出す場所があり、遠くても高い場所があります。
ホットスポットは目に見えず、どこにあるのか分からない。

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この区間でも、作業をしている人達がいます。浪江ICの辺りには、除染所があって車を除染していました。
浪江インターを過ぎると、綺麗な田園風景が拡がります。

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南相馬インターを過ぎると、南相馬鹿島サービスエリアにセデッセ鹿島 というレストランやお土産を買うことの出来る施設があります。ドッグランも整備されていました。

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ここでお昼にしました。

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除染されているのか、ここでは千葉の自宅と変わらない値でした。芝生の上も同じ。
途中休憩場所がないので、人で賑わっていました。

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セグロセキレイが、のんびり囀っています。

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店内には、放射線測定モニターが。
この画面、翌日別の場所で見た時、全く同じ数値でした。coldsweats01
海沿いの道は、国道6号線。2輪車の通行は禁止。

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この後津波の時、高くなっている道路に逃げて助かったという、広大な田園地帯の中を走る仙台東部道路 (亘理〜岩沼〜仙台空港〜名取) を通って仙台に向かいましたが、この辺りでは0.046μ㏜/hなど、自宅と変わらない数値になっていました。

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この辺りの田んぼは津波で海水に浸かった為、土地を改良しているそうです。5年経ったのに、まだ作業が終わらないとは。

翌日28日は東北道を南下したのですが、郡山JCTまでの間の数値が思ったより高いのに驚きました。山あいなど、林のある所は常磐道を通っていても急に数値が上がったりして、安定しませんでした。
2年程前、千葉県八千代市の我が家の周りを測定器で計ったとき、側溝に貯まった土や枯れ葉のある場所が0.54μ㏜/hあって、びっくりました。
今回、同じ場所を測ったら0.06μ㏜/h。家の中は平均0.035μ㏜/h。
ホットスポットと言われている印西の辺りは、車の中で測って0.05〜0.07μ㏜/hでした。
只、雨で流れる道路上の車内での数値。林や草地など、場所や天候によって数値は変化するので一応の目安ですが。
翌日は、裏磐梯のホテルに泊まってスノーシューを楽しみました。そして、久ノ浜の奇跡の神社を再訪。 つづく。

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