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2014年7月15日 (火)

闇の教室 〜闇を知ると人は謙虚になれる〜

次に向かった富良野で、倉本聰 さんが塾長を務める富良野自然塾が環境教育の一環として行っている闇の教室 を体験してきました。
現代人が情報を得る時、90%以上を視覚に頼っているという事で、視覚をなくす事で文明社会と自然との関わりを考えるという企画です。
それは 『視覚障がい者』 の世界であり、今も自然の中に存在する世界。そして、電燈のない夜を過ごす人達もいます。友人の山荘で、闇が迫る恐怖を感じたことはありますが、完璧な闇の経験は初めてです。
最初にここで靴を脱ぎ、携帯などの音を発するものを置いて、扉の向こうの『漆黒の闇』の世界に向かいます。スタッフの質問に応える以外、声を出すのも禁止です。

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友人と二人スタッフに挟まれて歩くのですが、目の前に人がいても全くわからない世界。前後左右の感覚もなく、手と足の感触と音の感覚でスタッフについていきます。
春夏秋冬と部屋が分かれていて、温度や湿度の感じ、聞こえる音もそれぞれ違います。
体中で、自然を感じながら歩くのです。
途中、足もとに落ちている物を拾いそれが何かあてるのですが、聞こえる音からの思い込みとかもあり、最後に正体を知った時は大笑いです。
渡された飲み物食べ物も、匂いを嗅いで口に入れてみても定かでない。見えるから認識しているのだと実感しました。
版画家の名嘉睦稔さんは、触ったり食べたりすると、見ただけではわからない事がわかると言うけれど、普段他の感覚を余り使っていないで認識しているのだということもわかりました。

ある部屋では、床に寝て下さいという指示。寝そべっていると、小枝を踏みながら何者かがこちらにやってきます。
これがもし現実の山の中だったら、全身「耳」になり匂いを嗅いで、それが熊なのか、小動物なのか見極めなくてはなりません。場合によっては第六感を働かせて、気配を消さないといけない。まるで小さなネズミになった気分です。
視覚を奪われた現代人など、小さなネズミ以下の存在。
ご先祖様が、自然を恐れ、人間もその一部として謙虚に生きてきた意味が分かったような気がしました。
闇の存在は、恐怖の何物でもありません。
沢山のエネルギーを使って、電気という必要以上の光を手に入れた時から、人類は自然を征服した気分になってしまったのではないでしょうか。

最後の部屋は、燈火管制のひかれた戦中の部屋です。かなりの薄暗がりで、小さい頃田舎の祖母の家に行き、外にある豆電球のトイレに入った時の事を思い出しました。
こんな光の中で空襲に怯えながら暮らすというのは、想像を絶します。それだけで、戦争には絶対になって欲しくないと思ったほど。
戦中を生きた倉本聰さんの思いが伝わってくる部屋でした。

 『闇を知ると、人は謙虚になれる』 部屋を出たとき、そう思いました。

子供達、いや大人にこそ、この体験が必要ですね。特に政治家の方達には。

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倉本聰さんのドラマ 『優しい時間』 の舞台となった 『森の時計』。
大きな窓が、絵画のようです。四季折々違う景色なのでしょうね。
自分でミルを曳きながら、「清浄な水と空気の中で暮らせるというのは、それだけで幸せな事ですね」 と、マスターとお喋りしました。

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